大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋家庭裁判所 事件番号不詳 決定

本籍 長崎市○○町○丁目○○○○番地

住居 愛知県○○○○○郡○○町字○○○番地 ○○寮内

土工

少年A

昭和十年七月十三日生

主文

本件申請を棄却する。

理由

本件申請の理由は、

本少年は昭和二十七年九月十二日瀬戸少年院仮退院に当り、犯罪者予防更生法第三十四条第二項所定の遵守事項、及び同法第三十一条第三項の中部地方更生保護委員会所定の遵守事項を、同法第三十二条第一項に基づき誓約したにも拘らず、

一、帰住後暫らくは保護者と共に働いてはいたが、昭和二十八年一月からは就業しようとせず殊更に徒食し、同月十二日の名古屋保護観察所からの呼出にも応ぜず、翌十三日保護者並びに実族の衣類ズボン三着、洋服上下一着メリヤスシヤツ一枚、自転車部品等を無断で持ち出し、家出して金九百円に入質し、これを持つて名古屋市内に来り、パチンコ、飮食、宿泊費等に費消し、翌十四日名鉄電車嗚海駅前パチンコ屋において刑事に捕えられ嗚海署に留置された。

二、少年は性怠惰であり、捨子であるため、従前より家出非行等があり、又反省力に欠け、少年院仮退院に際しても所轄観察所並びに保護司において相当少年の帰住調整に腐心し、当初保護団体に収容せしめる予定であつたものを、少年の切なる意向に再度調整して保護者方に帰住せしめたものであるが、以上の事実よりして、少年の更生意欲の向上錬成のため、相当期間少年院に戻し収容の上、堅実なる更生方針を樹立せしめることと致したい。

というのである。

仍つて判断するに、先づ右申請の理由一、記載の事実、即ち少年が遵守すべき事項を遵守しなかつたことは、少年並びに保護者(養父、但し戸籍上は無関係)Bその他関係人の各供述に依り明らかに認められるところである。

ところで、犯罪者予防更生法第四十三条第一項に依り、地方更生保護委員会より申請があつた場合、裁判所が当該仮退院中の者を少年院に戻して収容すべき旨の決定をなすには、単にその者が遵守すべき事項を遵守しなかつたこと、又は遵守しない虞れがあると認められるだけでは充分でなく、更に進んでその者を少年院に戻して収容する必要があるかどうかの点についても審理をなし、その必要性がある場合に始めて前記決定をなすべきものと解せられるので、以下その必要性の有無について判断することとする。

(イ)  少年の経歴、行状

本少年は元汽車の中に捨てられてあつたものを車掌が拾い上げ、少年の肩書本籍地に所在する長崎市の養育院に預けられたものであるが、偶々同院長と当時長崎市に居住していたBが縁戚関係にあつた為、昭和十二年七月(少年満二歳時)同人方に引取られ、爾後同人夫婦の手に依り、その長男C(少年より約五歳年長)と共に養育された。そして満五歳時に養父等と共に愛知県下に移住し、同地で小学校並びに中学校を卒業したが、在学中出席は良好なるも、学業は概して不良であつた。特に少年は中学校二年生頃より不健全な学友と交り、学校よりの帰宅が遅れ、或いは帰宅しなかつたこともあつたが、その頃より家庭から食糧品の持出を始め、三年生に進むや家庭の農機具類を持ち出して売却し、買喰映画に耽り、或いは他人又は菓子屋等より買喰の借財を作る等行状悪く、更に中学卒業寸前の昭和二十六年二月頃、就職するに際し、自己が捨子であつたことを知るに及んで、過去と思い合せて劣等感、愛情饑餓を俄かに意識し始め、家庭を逃避しては不良交友、不健全娯楽に代償を求め、窃盜、野宿をなし、家にあつては父母えの反抗となつて現はれ、遂に、最初に就職した○○鉄工所で主人の金二千円を窃取したのを初め、昭和二十六年六月頃より九月頃迄の間、前後十六回位に亘り、空巣、置引等見積金一万二千円位の窃盜を働らき、同年九月二十六日名古屋家庭裁判所より、中等少年院送致の決定を受け、同日瀬戸少年院に収容されたが、同院においては、別に逃走その他の反則もなく、農業専修生に編入されて順調な修練経過を辿り、可成りの協調性、自主性並びに社会性の涵養を認められて、昭和二十七年九月十二日假退院し、愛知県○○郡○○町に居住する前記B方に帰住した。

その後少年は右養父と共に澱粉工場や土木建築の人夫として働きに行く傍ら、家庭で開墾している約三畝の畑の耕作の手伝をなしていたが、同年十月頃パチンコ屋に出入を始めてから、再び仕事を怠け始め、養父の言に従はず、仕事を無断で退職し、特に翌二十八年一月初めからは、職場から休暇をもらつて来たと嘘を言つて全然働らかず、また家庭の手伝もせず、夜十一時過ぎまでパチンコ等に耽つていた。そして同年一月十二日名古屋保護観察所より、一月十四日保護者と共に出頭せよという呼出状を受取つたが、少年は観察所え出頭すれば自己の行状の悪いことより少年院に戻される虞れがあると考え、大阪の方にでも行つて住込就職先を探したいと思つたが、金もなかつたのでその旅費を作るため、家庭の不在に乘じ、一月十三日自宅より衣類等約九点及び自転車の部分品等を持ち出し、その日の中に自転車部品は五十円で売却し、衣類等は名古屋市において金九百円で入質したが、大阪迄行くには旅費も心細く思い、同市内でパチンコ、飮食等をなし、同夜は中学時代の恩師宅に一泊し、翌十四日○○町に帰り、パチンコをしているところを警察官に逮捕されたが、その際所持金は金二円であつた。そして同月十六日養父に連れられて名古屋保護観察所に出頭し、引致状の発付となつた。

(ロ)  少年の素質

智能は田中B式八七、クレペリンPで準正常の段階である。親兄弟等の遺伝関係は不明。養父の言に依れば、幼時鼻汁を垂れ、涎もよく垂らしていたとの事、又満十四歳時日本脳炎のような熱病で四十度位の熱が約二週間位続き、それ以後特に素行が惡くなり学業も落ちた由。性格としては、環境的負因に依り可成り歪曲されているが、反抗的、他罰的であつて、自主性、持続力に乏しく、愛情飢餓で劣等感が強い。又向性指数は一一二である。身体的には体格中等度で別に異常欠陥を認めない。

(ハ)  家庭環境

養父は元長崎市の農家に生れたようであるが、生後間もなく捨子にされ、長崎市所在のカトリツク系養育院に保護され、その後農家に里子に出されて養育を受け、旧制中学校迄卒業して、長崎三菱造船所に就職し、爾後昭和二十四年十月胃膓病で名古屋造船所を退職するまで造船工員として働いていた。その後は体の都合で一ヶ月に一週間位日雇人夫として働らき、後は生活扶助に頼つている。

此の外家族に養母、義兄、義弟がいるが、義兄は昭和二十一年三月背髄カリエスとなり、昭和二十三年四月頃よりは全活自由が利かなくなつたため、医療扶助により昭和二十六年九月○○町民病院に入院し、そのため養母はその看護につききりでおり、義弟は現在尚小学生である。

従つて家計は極めて苦しく、昭和二十七年一月より生活扶助を受けるようになり、当初月五千五百円宛貰つていたのが、少年が昭和二十七年九月少年院を仮退院してからは、その年の十月から三千五百円となり、更に十二月からは二千五百円と減額された。養父は少年に対して愛情がないわけではないが、人間的な暖かさに欠けているため、自己が捨子であるということを認識している少年にとつては素直に受け取られ難く、又熱心なカトリツク信者で、少年に対しても要求水準が高く、少年の資格がこれに応じ切れなかつたため、常々真面目にならなければ勘当すると言つて意見をしていた。

以上掲記の如く、少年の経歴行状のみに目を留めてこれを眺めるならば、少年院仮退院後四ヶ月を出でずして、保護者の言に従はず、怠業してパチンコ、夜遊に耽り、又、家財持出、家出、入質費消する等反省の色更に見えざる点より、直ちに少年院に戻して再教育を施すのが相当であるかの如く思料せられるけれども、事ここに至つた問題の要因にまで遡つて考えるときは、必ずしもそれが本少年並びに家庭に対する最上の策であると断ずることは出来ない。

即ち本少年の仮退院後の行状は、その素質性格的負因にも依るとは云え、むしろ家庭環境的負因に負う所の方が大であると思料されるからである。先づ養父方における生活の窮迫は、養父の少年に対する期待を増大させ、これが直接間接に少年の心理に重圧感を与え、又少年は養父から常に叱言を受けながら、小遣銭は少年の欲望を充足するに足る程は貰えず、このため労働忌避の風潮が芽生え、又養父えの不満が欝積されていた。加うるに高度の要求水準を保持する養父の性格は少年のやゝ劣等な資質に適合せず、このため少年は家庭内における緊張感から一時的に逃避してパチンコに耽り、これが養父との間の溝を一層深め、父子の対人関係が悪循環を始める結果となり、少年もいよいよ深みに落ちていく自己の罪意識に半ば自暴自棄的となつて、遂に持出家出の非行となつたものである。当時養父の冷酷と、少年の背信と、家計の窮迫とが相作用して保護上最不適の雰囲気を釀成していた。従つて少年をそのまま家庭に復帰せしめることは出来ない。かと言つて父が冷いから持出家出は止むを得ないと理由づけて自己反省を余りしない少年のいはゆる他罰的性格から推して、少年を直ちに少年院に戻して収容することは、少年の愛情飢餓並びに劣等感を益々強める結果となるばかりでなく、再起しようとする意欲を喪失させ、又再び少年院を仮退院するに際し、今回と同様の問題に逢着することとなつて余り適当でない。従つて本少年の場合、いたづらに少年院に戻して收容することを急ぐよりも、家庭の経済状態がやゝ好転し、又養父との緊迫した対人関係がやゝ緩和するまで、適当な他の社会的に信頼し得る人の許で正業に励ますことが望ましく、保護観察所においても、犯罪者予防更生法第三十六条第一項第五号並びに第七号の趣旨に則り、先づ右の措置を採るべきであり、従つて本件申請は失当であるかの如く一応考えられるけれども、尚今後本人の性格等に問題なしとしないので、暫らく裁判所の試験観察に付し、その経過を見た上で最終決定をなすのを相当と思料する。

ところで、犯罪者予防更生法第四十三条にいわゆる戻收容申請事件は、その性質少年の保護事件とは根本的に異なるものであるけれども、等しく少年法第九条の精神に則つて調査をなし、且つ同法第二十二条の方式に従つて審判をなすものであり、又少年院に戻して収容する旨の決定は、同法第二十四条第一項第三号に規定されてある少年院に送致する旨の決定と同性質のものであるから、少年調査官の観察に付することが出来る旨の同法第二十五条の規定は、少年審判規則第五十五条に依り当然準用出来るものと解する。

仍て当裁判所は少年法第二十五条を準用して、少年を相当の期間、当裁判所少年調査官榊原万三の観察に付し、併せて少年の肩書住居地において、○○寮々長D氏に補導を委託することとした。試験観察中、少年は無断で帰寮せざること二回、(昭和二十八年三月中に三日間、七月中に八日間、いづれも自ら帰寮した)、養父方に帰つて物を持ち出したこと二回(いづれも同年四月中)あつた外、別に大した事故もなく、特に同年七月下旬以降は何等の事故もなく、寮から毎日仕事に出掛け、性格素行も漸次好転しつつあり、将来は自活の道を講ずる旨供述しており前記D氏も少年に対しては今後も補導援護する旨確約した。

仍て少年に対してはもはや少年院に戻して收容する必要がなくなつたものと認られ、従つて本件申請は結局理由がないこととなるので主文のとおり決定する。

(裁判官 日野原昌)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!